将棋は数少ない私の趣味だ。
今まで、将棋が好きでよかったなと思うことが何度もあった。
今回は、私の将棋歴を書きたいと思う。
将棋を覚えたのは確か小学1年生の頃だったと思う。
家には将棋盤と駒があり、家族でまわり将棋をして遊んでいた。
ある日、母方の祖父の家に遊びに行った時に、祖父から駒の動かし方等のルールを教わった。
当時は、将棋のことを本将棋と言っていた。
「まわり将棋ではなく、本将棋をやろう」みたいな感じ。
今もそういう言い方をするのかな?
ルールを教わり、祖父と何局か指したが、この頃はまだ将棋に夢中になることはなかった。
それからしばらくは将棋を指すことはなかったのだが、
小学6年生の時に、学校のクラスで突然将棋が流行り出した。
何故流行ったのかはわからない。
おそらく、クラスの誰かが将棋をやり出したのがきっかけだと思う。
私は祖父のおかげでルールを知っていたので、指すことができた。
祖父に教わって少し知っている程度だったが、それでもクラスでは強い方だったと思う。
その頃のある日曜日、私は家で何気なく将棋番組を見ていた。
今も放送されているNHK杯将棋トーナメントだ。
学校で将棋が流行っていたのでなんとなく見てみようと思ったのだと思う。
画面には当時17歳くらいの羽生先生が映っていた。
詳しくは覚えていないのだが、時期的に羽生先生対中村修先生の対局だったと思う。
羽生先生は当時四段か五段、中村修先生は当時王将だったと思う。
当時の私は当然指し手の意味は全然わからなかったのだが、
高校生の羽生先生が魅力的で最後まで見てしまった。
それまでは、将棋は少し怖いおじさんがやるものというイメージがあったので、
こんなに若い人が大人相手にやるものなのかと驚いた。
若い真面目そうな羽生先生の対局姿を見て、カッコいいなと思った。
それから私は、NHK将棋講座テキストや将棋世界、将棋マガジン等の将棋雑誌を読むようになり、
将棋にのめり込むようになった。将棋界のことも少しずつわかってきた。
私はこの頃から羽生先生のファンで、雑誌のトーナメント表で羽生先生の名前を探し、
勝敗の結果や次の対戦相手を確認していた。
今と違って雑誌でしかプロの対局の結果がわからなかったので、
毎月雑誌を買って棋戦の結果を見るのが楽しみだった。
当時は週刊将棋という将棋の新聞があったのだが、両親にお願いして一時期
配達してもらったことがある。それくらい将棋に夢中だった。